小説「コズミック・スピリット」とは何か?
登場キャラクター紹介
本書の目次
名言集(工事中)
プロローグの朗読映像(工事中)
小説「コズミック・スピリット」とは何か?
ごあいさつ
皆さんにとって、3.11とは、どのような経験だったのでしょう。
地震・津波・原発事故というトリプルパンチは、眠っている頭を覚醒させるには充分すぎる打撃だったはずです。
自然災害の爪痕は、流す汗の量に比例して、やがて消えていくかもしれません。おそらくこの先、文明の終わりまで残るのは、目に見えない、音に聴こえない、触れることも嗅ぐこともできない、もっともやっかいな、扱いに窮する、どのように対峙していいかさえわからないような脅威であり、そしてもっとも恥ずべき汚点です。しかも、私たちの外部環境が汚されただけではなく、内部環境も汚されたのです。もはや私たちは、自分たちの外部で起きていることは、内部でも起きるだろうと考えざるを得ません。
もしこの先、人命や地球環境よりも経済を優先させるという世界観の継続によって、この汚点にさらなる恥辱の上塗りを繰り返すなら、もはや経済とは恥ずべき行為であると言わざるを得なくなります。
私にとって3.11とは、昨日まで通用していたものが、もはやいっさい通用しなくなってしまった瞬間、あえて目を背けてきたものを、まざまざと見せつけられた瞬間、少し大袈裟に言うなら、それまで地球の周りを太陽が回っていると信じていた人類が、実は地球が太陽の周りを回っているのだと知らされたような経験だったのではないかと思うのです。はっきり知ってしまった以上、二度と「知らない」に戻ることはできません。シラをきり通して、のほほんとしていることはできないのです。
この大きな価値観の転換、パラダイムシフトを経験した後には、私たちの共通の課題は、「いかに生きるか」ではなく「いかに死ぬか」、つまり次の走者にどのようなバトンを手渡すのか、ということに置き換わったのではないでしょうか。
こうしたパラダイムシフトは、小説を書くという行為にも及んでいると思うのです。よく、「文学の役割とは、社会への問題提起だ」といった言い方をします。しかし、問題を提起している場合ではありません。社会に一石を投じ、波紋やさざ波を起こしている場合ではないのです。問題はすでに、抱えきれないぐらい提示されています。もうこれ以上必要ありません。答えを出す時です。小説家は、小説というかたちで、世界が抱えている様々な問題に、自分なりの答えを出す必要があると思います。本当に書くに値する小説とは何かを、作家は真剣に考えるべきなのです。
私は、十代の頃から、いつか自分は長い小説を書く人間だという思いを秘めてきました。しかし、何を書いたらいいのか、どう書いたらいいのかわからず、悶々とした日々を40年近く過ごしてきてしまいました。そんな私に、この大きなパラダイムシフトの時は、「そんなに困って悶々としているなら、ネタを提供しましょう」とばかり、書くための資料をどっさりと目の前に積んでくれたようです。
3.11を経て、右往左往し、悪足掻きを繰り返し、すっかり生きる意欲を失い、健康面にも致命的と思えるような問題を抱えてしまった私の耳に、あるセラピーを受けたのをきっかけに、突然メッセージが響き渡り、信じ難いストーリーが勝手に展開し始めました。何の準備も予備知識もないままの垂れ流し状態、成り行き任せでした。そうなるともう、抵抗することも制御することもできません。気がつくと、長編小説を書くにはあり余るほどの「ネタ」が、私の手元に残っていました。しかし、それらの資料あるいは材料を、小説という料理に仕立て上げるには、それからさらに何年もかかってしまいました。結果、美味しく味わっていただけるものになったのかどうか、正直自信はありません。出来上がったものは、自叙伝なのか、エッセーなのか、学術論文なのか、それともSFなのか・・・あまりに風変わりなものになってしまったかもしれません。最終判断は読者の皆さんに委ねるしかないでしょう。
それでも私は、答えを出したつもりです。21世紀に入ってもなお、人類はなぜ互いを滅ぼし合うほどに自滅的に振る舞い、自分たちの住処である地球環境を痛めつけるような愚行を、性懲りもなく繰り返しているのか、そのあまりに悩ましい疑問に対する、私なりの答えを。
正直なところ、上・下2巻に及ぶこの分厚い小説を読み通すには、そうとうな気合いと集中力が要求されるでしょう。でも、ご安心ください。ちょっとでも難しいと感じる部分は読み飛ばしていただいてかまいません。それでも充分に物語として楽しめるように工夫したつもりです。
しかしあなたにはいつか、その読み飛ばした部分に、覚悟を決め、じっくりと取り組まなければならない時がくるに違いありません。それが、この大いなるパラダイムシフトの時に、私たちが二度と再び恥の上塗りをせぬよう、すべての人に課せられている課題だと思うからです。
2017年3月10日
AK
地震・津波・原発事故というトリプルパンチは、眠っている頭を覚醒させるには充分すぎる打撃だったはずです。
自然災害の爪痕は、流す汗の量に比例して、やがて消えていくかもしれません。おそらくこの先、文明の終わりまで残るのは、目に見えない、音に聴こえない、触れることも嗅ぐこともできない、もっともやっかいな、扱いに窮する、どのように対峙していいかさえわからないような脅威であり、そしてもっとも恥ずべき汚点です。しかも、私たちの外部環境が汚されただけではなく、内部環境も汚されたのです。もはや私たちは、自分たちの外部で起きていることは、内部でも起きるだろうと考えざるを得ません。
もしこの先、人命や地球環境よりも経済を優先させるという世界観の継続によって、この汚点にさらなる恥辱の上塗りを繰り返すなら、もはや経済とは恥ずべき行為であると言わざるを得なくなります。
私にとって3.11とは、昨日まで通用していたものが、もはやいっさい通用しなくなってしまった瞬間、あえて目を背けてきたものを、まざまざと見せつけられた瞬間、少し大袈裟に言うなら、それまで地球の周りを太陽が回っていると信じていた人類が、実は地球が太陽の周りを回っているのだと知らされたような経験だったのではないかと思うのです。はっきり知ってしまった以上、二度と「知らない」に戻ることはできません。シラをきり通して、のほほんとしていることはできないのです。
この大きな価値観の転換、パラダイムシフトを経験した後には、私たちの共通の課題は、「いかに生きるか」ではなく「いかに死ぬか」、つまり次の走者にどのようなバトンを手渡すのか、ということに置き換わったのではないでしょうか。
こうしたパラダイムシフトは、小説を書くという行為にも及んでいると思うのです。よく、「文学の役割とは、社会への問題提起だ」といった言い方をします。しかし、問題を提起している場合ではありません。社会に一石を投じ、波紋やさざ波を起こしている場合ではないのです。問題はすでに、抱えきれないぐらい提示されています。もうこれ以上必要ありません。答えを出す時です。小説家は、小説というかたちで、世界が抱えている様々な問題に、自分なりの答えを出す必要があると思います。本当に書くに値する小説とは何かを、作家は真剣に考えるべきなのです。
私は、十代の頃から、いつか自分は長い小説を書く人間だという思いを秘めてきました。しかし、何を書いたらいいのか、どう書いたらいいのかわからず、悶々とした日々を40年近く過ごしてきてしまいました。そんな私に、この大きなパラダイムシフトの時は、「そんなに困って悶々としているなら、ネタを提供しましょう」とばかり、書くための資料をどっさりと目の前に積んでくれたようです。
3.11を経て、右往左往し、悪足掻きを繰り返し、すっかり生きる意欲を失い、健康面にも致命的と思えるような問題を抱えてしまった私の耳に、あるセラピーを受けたのをきっかけに、突然メッセージが響き渡り、信じ難いストーリーが勝手に展開し始めました。何の準備も予備知識もないままの垂れ流し状態、成り行き任せでした。そうなるともう、抵抗することも制御することもできません。気がつくと、長編小説を書くにはあり余るほどの「ネタ」が、私の手元に残っていました。しかし、それらの資料あるいは材料を、小説という料理に仕立て上げるには、それからさらに何年もかかってしまいました。結果、美味しく味わっていただけるものになったのかどうか、正直自信はありません。出来上がったものは、自叙伝なのか、エッセーなのか、学術論文なのか、それともSFなのか・・・あまりに風変わりなものになってしまったかもしれません。最終判断は読者の皆さんに委ねるしかないでしょう。
それでも私は、答えを出したつもりです。21世紀に入ってもなお、人類はなぜ互いを滅ぼし合うほどに自滅的に振る舞い、自分たちの住処である地球環境を痛めつけるような愚行を、性懲りもなく繰り返しているのか、そのあまりに悩ましい疑問に対する、私なりの答えを。
正直なところ、上・下2巻に及ぶこの分厚い小説を読み通すには、そうとうな気合いと集中力が要求されるでしょう。でも、ご安心ください。ちょっとでも難しいと感じる部分は読み飛ばしていただいてかまいません。それでも充分に物語として楽しめるように工夫したつもりです。
しかしあなたにはいつか、その読み飛ばした部分に、覚悟を決め、じっくりと取り組まなければならない時がくるに違いありません。それが、この大いなるパラダイムシフトの時に、私たちが二度と再び恥の上塗りをせぬよう、すべての人に課せられている課題だと思うからです。
2017年3月10日
AK
あらすじ
東京からN高原に引っ越し、念願の田舎暮らしを始めたAKと空子に3.11の災禍が襲いかかる。逃げ場も生きる意欲も絶たれ、健康面でも致命的な問題を抱えたAKは、あるセラピーを受けたのをきっかけに、突然宇宙からのメッセージを受信し始める。その内容は、地球環境を破壊し、自滅への道を辿ろうとする地球人を案じた宇宙存在たちからの「人類再教育プログラム」とも呼ぶべきものだった。
異次元ワープを続けるAKに、次々に接近してくる宇宙存在たち。彼ら(彼女ら)の真の目的とは・・・?
死者の魂とのコンタクト・・・宇宙存在たちとの合体・・・やがて明かされる人類の隠された真実・・・。
幽体離脱したまま魂が肉体に戻らなくなってしまった謎の人物に導かれるようにして、「帰還不能」といわれる意識の極限への旅が始まる。
登場キャラクター紹介
ラムジー:プレアデス星から派遣されている地球監視役
AKは今、主に3人(「人」と数えていいのかどうか疑問だが)の宇宙存在とコンタクトをとっている。
彼ら(彼女ら)は、肉体を持たない、多次元の存在だという。肉体を持っていないというが、AKには彼らの姿が見える。見えるといっても、肉眼ではなく、閉じた眼の裏で見ているといったらいいだろうか。その3人を、順番に紹介していこう。
AKが最初にコンタクトをとったのは、「ラムジー」と名乗る存在で、プレアデス星から地球監視の任を帯びて宇宙船でやってきているとのこと。「ワタリガニ」を思わせるような輪郭の顔一面に広がる大きな目、猛禽類の嘴を連想させる口もと・・・隣にいると、その横に尖った顔にぶつからないようにするのに、少し気を遣う。 ラムジーさんの宇宙船は地球に着陸はせず、距離を置いて見守っているらしい。
彼は、地球が(というよりも人類が)今、危険な状況であることを案じてもいる。そうなってしまった原因を探ってもいるとのこと。基本的に地球の運命は地球人に任せ、不要な介入はしないのが方針らしい。
ラムジーさんとのファースト・コンタクトは、AKが偶然(?)彼の宇宙船に乗り込む、というかたちで起こった。AK自身、気がつくと突然宇宙船の中にいる自分に気づいて驚いたが、もっと驚いたのは、突然見知らぬ地球人が自分の宇宙船の中に乗り込んできたラムジーさんの方だったようだ。AKの顔を見るなり、ちょっとたじろぐような素振りを見せたラムジーさんだったが、すぐに事情が呑み込めたという具合に、そこから先はすんなりAKを受け入れ、コミュニケーションが成立した。
そのファースト・コンタクトから4日後、AKが朝目が覚めた瞬間、水道の蛇口が突然開いたように、メッセージの受信状態になった。明らかに声が聴こえてきたのだ。声の主はラムジーさんだとわかっていた。そこからほぼ毎日のセッションが始まった。
ラムジーさんは、原則としてこちらの質問に何でも答えてくれるが、人類に対し、どこまで情報提供するかは、かなり慎重になっている様子だ。あまり多くのことを知らせてしまうと、人類全体の地球上での存在意義が損なわれてしまうかもしれない、という危惧があるようだ(「人類全体の地球上での存在意義」とは何かについては、小説で詳しく書いたので、ここではネタばらしはしないでおく)。とはいうものの、ラムジーさんは、かなりの「大盤振る舞い」と思えるような突っ込んだところまで、人類の隠された秘密について、驚くべき真実を開示してくれてもいる。その語り口は、さながら哲学者だ。発する波動は常に穏やかで、愛に満ちている。ご本人は「私には癒しの力はありません」とおっしゃっているが、どうしてどうして、触れ合っているこちらは大いに癒されている。
彼ら(彼女ら)は、肉体を持たない、多次元の存在だという。肉体を持っていないというが、AKには彼らの姿が見える。見えるといっても、肉眼ではなく、閉じた眼の裏で見ているといったらいいだろうか。その3人を、順番に紹介していこう。
AKが最初にコンタクトをとったのは、「ラムジー」と名乗る存在で、プレアデス星から地球監視の任を帯びて宇宙船でやってきているとのこと。「ワタリガニ」を思わせるような輪郭の顔一面に広がる大きな目、猛禽類の嘴を連想させる口もと・・・隣にいると、その横に尖った顔にぶつからないようにするのに、少し気を遣う。 ラムジーさんの宇宙船は地球に着陸はせず、距離を置いて見守っているらしい。
彼は、地球が(というよりも人類が)今、危険な状況であることを案じてもいる。そうなってしまった原因を探ってもいるとのこと。基本的に地球の運命は地球人に任せ、不要な介入はしないのが方針らしい。
ラムジーさんとのファースト・コンタクトは、AKが偶然(?)彼の宇宙船に乗り込む、というかたちで起こった。AK自身、気がつくと突然宇宙船の中にいる自分に気づいて驚いたが、もっと驚いたのは、突然見知らぬ地球人が自分の宇宙船の中に乗り込んできたラムジーさんの方だったようだ。AKの顔を見るなり、ちょっとたじろぐような素振りを見せたラムジーさんだったが、すぐに事情が呑み込めたという具合に、そこから先はすんなりAKを受け入れ、コミュニケーションが成立した。
そのファースト・コンタクトから4日後、AKが朝目が覚めた瞬間、水道の蛇口が突然開いたように、メッセージの受信状態になった。明らかに声が聴こえてきたのだ。声の主はラムジーさんだとわかっていた。そこからほぼ毎日のセッションが始まった。
ラムジーさんは、原則としてこちらの質問に何でも答えてくれるが、人類に対し、どこまで情報提供するかは、かなり慎重になっている様子だ。あまり多くのことを知らせてしまうと、人類全体の地球上での存在意義が損なわれてしまうかもしれない、という危惧があるようだ(「人類全体の地球上での存在意義」とは何かについては、小説で詳しく書いたので、ここではネタばらしはしないでおく)。とはいうものの、ラムジーさんは、かなりの「大盤振る舞い」と思えるような突っ込んだところまで、人類の隠された秘密について、驚くべき真実を開示してくれてもいる。その語り口は、さながら哲学者だ。発する波動は常に穏やかで、愛に満ちている。ご本人は「私には癒しの力はありません」とおっしゃっているが、どうしてどうして、触れ合っているこちらは大いに癒されている。