チャネリングへの道(私はこうしてチャネリングに至った)
- チャネリングへの道① 今までの歩み
- チャネリングへの道② 「怪我の功名」
- チャネリングへの道③ 「遺伝子オン」
- チャネリングへの道④ 「夢の解読」
- チャネリングへの道⑤ 「地球と絆を結ぶ(グラウンディング)」
- チャネリングへの道⑥ チャネラーの一日
チャネリングへの道(私はこうしてチャネリングに至った)
チャネリングへの道① 今までの歩み
「私はなぜ、チャネリングに至ったのか?」
地元での初めての講演が決まり、引き続いて東京の学会での講演も控え、この疑問にどのような答えを出すか、自己分析してみる必要に迫られている。
この機会に、自分の今までの歩みを振り返り、結局自分が何を掘り下げ、何を耕してきたのかを概観してみることにした。
私のもっとも古い記憶は、おそらく三歳か四歳ぐらいのときにみた強烈な悪夢だ。それを今でも鮮明に覚えているが、それ以来、夢は私にとって「解かれるべき謎」という名の隣人となった。
この当時の私は空想好きな子どもで、ぬいぐるみを主人公に見立て、即興で物語を作っては、一日中独り遊びしていた。
そのほか、とにかく手で何かを作るのが好きで、幼稚園時代は粘土細工に興じ、小学校ではプラモデル、長じて木工、絵を描いたり料理を作ることは今でも継続している。
小学校四年生ぐらいで読書に目覚め、六年生では短編小説のようなものを書き始めた。この頃から、自分はいつか長い小説を書く人間になるだろうと漠然と思っていた。実現するまでに、45年ぐらいかかってしまったが・・・。
中学・高校では、とにかく本を読み漁った。小説、詩集、哲学・心理学書など、人文科学系を中心にジャンルを問わず・・・。
大学では劇団に入って演劇に打ち込んだ。頭でっかちになりたくなかったこともあり、肉体表現とドラマツルギーを学ぶためである。
大学を出てから、専門学校でフランス語を(かなり本格的な音声言語学的立場から)学び、コンピュータ・プログラミングもかじった。
職に就いてからは、一貫してデジタルの世界で文章、イラスト、専門書の制作を手掛けてきた。書籍に関しては、印刷と製本以外はすべて自分でやった。
ここまでを総括すると、読み書きは習慣になっていたし、「考えては手を動かし、考えては体を動かし」ということを繰り返していたのだと思う。その根本にあったのは、想像力であり、理性と感性、理論と直観、言語とイメージといった正反対の道具をまんべんなく使う訓練だったように思う。
三十代で、リアルY子先生(小説に登場するキャラクターのモデルとなった人物)との出会いから、本格的に夢の勉強を始める。
同時期に、気の呼吸法の道場に通ったり、クリエイティブ・ビジュアライゼーション(一種の瞑想状態で、特に身近な人々との関係性に創造的な変化をもたらす独特の手法)というものに取り組んだりした。
この頃、バブルが弾け、仕事がなくなり、人生に迷い、大きな方向転換を迫られていた。そこで、私の大きな取り組み課題として浮上してきたのは、人間の心、特に無意識の領域についてだった。夢について本格的に取り組んでみようと思った背景にも、そうした事情がある。
この頃から、目に見えない世界、数式では割り切れない問題、既存の科学的理論では説明のつかない現象を追求してみたいという思いが強くなっていた。
四十代から作詞と音楽プロデュースを始める。人が作ったメロディーに日本語の詞をつけるという営みも、詞とメロディーが一緒になった楽曲を、歌や楽器の演奏とともにひとつの音楽作品へとまとめ上げていくプロデュースの作業も、声や音という波動を読み取り、そこに重要な意味を持たせる試みに違いない。それは私を直接的にチャネリングへと結びつけたと感じる。
音楽活動とシンクロするようにして、都会の暮らしに見切りをつけ、田舎暮らしをスタートさせる。これも私の世界観に地殻変動をもたらした。
そして五十代、心臓発作を起こすが、結局医療に頼らず自分で克服。この体験にも意外な「怪我の功名」のようなものがあったようだ(次の機会に取り上げる)。
3.11を経て、あるセラピーを受けたのをきっかけに、チャネリングを始めることになる。
ざっと振り返ってみて、結局何が私をチャネリングに導いたのか、一言で言えば「眠っている魂のDNAにスイッチが入った」ということではないかと思う。
この表現には、いささか説明が必要だろう。
○まず、DNAというのは、生命科学的現象のはずだが、「魂の~」という前提条件がわざわざつくのは、どういうことか?
○DNAとは、生命を生命たらしめているもともとの原理のはずだから、それが働いていなければ、生命はそもそも存在しえないはずだが、それが「眠っている」とはどういうことか?
○では、そのように理由もわからず眠っているものにスイッチを入れ、目覚めさせるとは、いかなることか?
これらの疑問に、これから一つひとつ考察を加えてみたいと思う。なぜなら、それが本書「コズミック・スピリット」のテーマである「個から全体へ至る道」をさらに掘り下げる第一歩でもあると思うからだ。
地元での初めての講演が決まり、引き続いて東京の学会での講演も控え、この疑問にどのような答えを出すか、自己分析してみる必要に迫られている。
この機会に、自分の今までの歩みを振り返り、結局自分が何を掘り下げ、何を耕してきたのかを概観してみることにした。
私のもっとも古い記憶は、おそらく三歳か四歳ぐらいのときにみた強烈な悪夢だ。それを今でも鮮明に覚えているが、それ以来、夢は私にとって「解かれるべき謎」という名の隣人となった。
この当時の私は空想好きな子どもで、ぬいぐるみを主人公に見立て、即興で物語を作っては、一日中独り遊びしていた。
そのほか、とにかく手で何かを作るのが好きで、幼稚園時代は粘土細工に興じ、小学校ではプラモデル、長じて木工、絵を描いたり料理を作ることは今でも継続している。
小学校四年生ぐらいで読書に目覚め、六年生では短編小説のようなものを書き始めた。この頃から、自分はいつか長い小説を書く人間になるだろうと漠然と思っていた。実現するまでに、45年ぐらいかかってしまったが・・・。
中学・高校では、とにかく本を読み漁った。小説、詩集、哲学・心理学書など、人文科学系を中心にジャンルを問わず・・・。
大学では劇団に入って演劇に打ち込んだ。頭でっかちになりたくなかったこともあり、肉体表現とドラマツルギーを学ぶためである。
大学を出てから、専門学校でフランス語を(かなり本格的な音声言語学的立場から)学び、コンピュータ・プログラミングもかじった。
職に就いてからは、一貫してデジタルの世界で文章、イラスト、専門書の制作を手掛けてきた。書籍に関しては、印刷と製本以外はすべて自分でやった。
ここまでを総括すると、読み書きは習慣になっていたし、「考えては手を動かし、考えては体を動かし」ということを繰り返していたのだと思う。その根本にあったのは、想像力であり、理性と感性、理論と直観、言語とイメージといった正反対の道具をまんべんなく使う訓練だったように思う。
三十代で、リアルY子先生(小説に登場するキャラクターのモデルとなった人物)との出会いから、本格的に夢の勉強を始める。
同時期に、気の呼吸法の道場に通ったり、クリエイティブ・ビジュアライゼーション(一種の瞑想状態で、特に身近な人々との関係性に創造的な変化をもたらす独特の手法)というものに取り組んだりした。
この頃、バブルが弾け、仕事がなくなり、人生に迷い、大きな方向転換を迫られていた。そこで、私の大きな取り組み課題として浮上してきたのは、人間の心、特に無意識の領域についてだった。夢について本格的に取り組んでみようと思った背景にも、そうした事情がある。
この頃から、目に見えない世界、数式では割り切れない問題、既存の科学的理論では説明のつかない現象を追求してみたいという思いが強くなっていた。
四十代から作詞と音楽プロデュースを始める。人が作ったメロディーに日本語の詞をつけるという営みも、詞とメロディーが一緒になった楽曲を、歌や楽器の演奏とともにひとつの音楽作品へとまとめ上げていくプロデュースの作業も、声や音という波動を読み取り、そこに重要な意味を持たせる試みに違いない。それは私を直接的にチャネリングへと結びつけたと感じる。
音楽活動とシンクロするようにして、都会の暮らしに見切りをつけ、田舎暮らしをスタートさせる。これも私の世界観に地殻変動をもたらした。
そして五十代、心臓発作を起こすが、結局医療に頼らず自分で克服。この体験にも意外な「怪我の功名」のようなものがあったようだ(次の機会に取り上げる)。
3.11を経て、あるセラピーを受けたのをきっかけに、チャネリングを始めることになる。
ざっと振り返ってみて、結局何が私をチャネリングに導いたのか、一言で言えば「眠っている魂のDNAにスイッチが入った」ということではないかと思う。
この表現には、いささか説明が必要だろう。
○まず、DNAというのは、生命科学的現象のはずだが、「魂の~」という前提条件がわざわざつくのは、どういうことか?
○DNAとは、生命を生命たらしめているもともとの原理のはずだから、それが働いていなければ、生命はそもそも存在しえないはずだが、それが「眠っている」とはどういうことか?
○では、そのように理由もわからず眠っているものにスイッチを入れ、目覚めさせるとは、いかなることか?
これらの疑問に、これから一つひとつ考察を加えてみたいと思う。なぜなら、それが本書「コズミック・スピリット」のテーマである「個から全体へ至る道」をさらに掘り下げる第一歩でもあると思うからだ。
チャネリングへの道② 「怪我の功名」
3.11をまたいで1~2年の期間のことだったと記憶しているが、ある意味チャネリングに至る前段階のようにして、私はある日突然心臓の発作に見舞われた。朝目が覚めたとたん、心臓を内側からわしづかみにされるような激しい痛みに襲われたのだ。
病院に行き、検査してもらうと、「攣縮性狭心症」という診断だった。動脈硬化などは見受けられないので、手術の必要はなさそうだが、実のところ原因ははっきりしない病気だという。発作予防薬を処方してもらったところ、発作は治まったが、激しい副作用に見舞われた。
医療が対処療法しか提供できず、その対処療法がかえって別の問題を引き起こすなら、いっそのこと、医療にはいっさい頼らず、自分で何とかしてやれと思った。覚悟を決めた自己責任だった。試行錯誤の末、今ではすっかり発作を飼い慣らし、病と折り合いをつけるに至っている。こんなことは、あまり人にはお薦めできないが、病に対するある種のコペルニクス的転回が起きたからこそ、なし得たことだ。その間の事情は小説にも詳しく書いたが、この経験は私がチャネリングに至るひとつの要因でもあったのではないかと思っている。
彼らと繋がってメッセージを受け取る前段階として、瞑想状態から変性意識状態に至るプロセスがあるが、その間「モンキーマインド」がしばらく続く。いわゆる想念・雑念が頭の中をぐるぐると渦巻いて、堂々巡りのような状態になることを、サルが刺激に敏感に反応して右往左往する様にたとえてこう呼ぶ。そのモンキーマインドを抜け、意識のスイッチが切り替わり、ある意味、別の時空(次元)の扉が開かない限り、彼らとは繋がれない。
実は、心臓発作を自分で何とか克服した経験は、モンキーマインドを抜けて、時空の扉を開くための恰好のトレーニングになったのではないかと密かに考えている。
人が悟りや解脱の境地に至るには、セロトニンを脳内に行き渡らせる神経ネットワークを極限まで活性化する必要があるが、その前段階として、ノルアドレナリンのような興奮・緊張状態を作り出す神経の活性化が必要だという研究がなされている。
激しいストレスなどでノルアドレナリン神経が極限まで興奮したうえで、ある種の運動や呼吸法をやると、効率よくセロトニン神経を活性化できる、というのだ。ヨガの行者や苦行僧が厳しい修行の末に悟りの境地に至るのはそのためだと言われている。
心臓発作とその克服は、このプロセスを疑似的になぞったのではないか。「怪我の功名」とはよく言ったものだ。
もちろん私は悟りや解脱に至っているわけではないが、こうしたプロセスの副次的な成果として、チャネリングに至った可能性はある。
病院に行き、検査してもらうと、「攣縮性狭心症」という診断だった。動脈硬化などは見受けられないので、手術の必要はなさそうだが、実のところ原因ははっきりしない病気だという。発作予防薬を処方してもらったところ、発作は治まったが、激しい副作用に見舞われた。
医療が対処療法しか提供できず、その対処療法がかえって別の問題を引き起こすなら、いっそのこと、医療にはいっさい頼らず、自分で何とかしてやれと思った。覚悟を決めた自己責任だった。試行錯誤の末、今ではすっかり発作を飼い慣らし、病と折り合いをつけるに至っている。こんなことは、あまり人にはお薦めできないが、病に対するある種のコペルニクス的転回が起きたからこそ、なし得たことだ。その間の事情は小説にも詳しく書いたが、この経験は私がチャネリングに至るひとつの要因でもあったのではないかと思っている。
彼らと繋がってメッセージを受け取る前段階として、瞑想状態から変性意識状態に至るプロセスがあるが、その間「モンキーマインド」がしばらく続く。いわゆる想念・雑念が頭の中をぐるぐると渦巻いて、堂々巡りのような状態になることを、サルが刺激に敏感に反応して右往左往する様にたとえてこう呼ぶ。そのモンキーマインドを抜け、意識のスイッチが切り替わり、ある意味、別の時空(次元)の扉が開かない限り、彼らとは繋がれない。
実は、心臓発作を自分で何とか克服した経験は、モンキーマインドを抜けて、時空の扉を開くための恰好のトレーニングになったのではないかと密かに考えている。
人が悟りや解脱の境地に至るには、セロトニンを脳内に行き渡らせる神経ネットワークを極限まで活性化する必要があるが、その前段階として、ノルアドレナリンのような興奮・緊張状態を作り出す神経の活性化が必要だという研究がなされている。
激しいストレスなどでノルアドレナリン神経が極限まで興奮したうえで、ある種の運動や呼吸法をやると、効率よくセロトニン神経を活性化できる、というのだ。ヨガの行者や苦行僧が厳しい修行の末に悟りの境地に至るのはそのためだと言われている。
心臓発作とその克服は、このプロセスを疑似的になぞったのではないか。「怪我の功名」とはよく言ったものだ。
もちろん私は悟りや解脱に至っているわけではないが、こうしたプロセスの副次的な成果として、チャネリングに至った可能性はある。
チャネリングへの道③ 「遺伝子オン」
ヒトゲノム計画によって、人間の遺伝子のうち、たんぱく質合成にかかわる部分はほぼ解明できたようだが、実はそれは遺伝子全体のわずか3%程度にすぎないという。残りの97%は、何のためにあるのかほとんどわかっていないらしい。ひと頃は「ジャンクDNA」などと呼ばれて、役立たずのように扱われていたが、さすがに何らかの機能があるだろうと言われ始めている。つまり、必要になったときに、そのDNAが眠りから目を覚ます、ということらしい。
日本の遺伝子研究の第一人者である筑波大学名誉教授の村上和雄氏は、人間の眠っている遺伝子をオンにし、潜在的な能力を目覚めさせる方法として、次のようなものをリストアップしている。
○試練を前向きにとらえて乗り越える
○立派でなくとも、小さい目標を持つ
○あえてぎりぎりのところまで自分を追い込んでみる
○積極的に人との出会いを求める
○笑う、感動する、感謝する、愛する、祈る
○環境を変える(安楽な環境から過酷な環境への変更も含む)
○強い志や使命感を持つ
○利他的な活動をする(ボランティアなど)
○チャレンジし続ける(成功・不成功に関係なく、プロセスが重要)
○人と違う部分を引き出して伸ばす
○常にワクワクを考え、イキイキと生きる
○何事も単独の断片でとらえるのでなく、連鎖や相互関係でとらえる
○科学を絶対視せず、目に見えないものにも関心を向ける
(村上和雄「遺伝子オンで生きる」サンマーク出版刊より)
このリストを参考に、眠っている遺伝子が完全オンの人とはどんな人かをプロファイルしてみると・・・
「試練をものともせず、あえて自分を過酷な環境に追い込み、常に笑いと感動と感謝と愛と祈りを絶やさず、強い意志と使命感を持ち、他人の利益だけを追い求め、挫折を知らず、人と違うことを恐れず、物事の連鎖や相互関係をとらえることに長け、科学的世界観にとらわれず、見えないものを見る力を養っている」
どうだろう。何となく宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」を思い出すが、こんな人が実際にいるとしたら、すでに悟りを啓いているのではないか。
そう、まさにこのリストは、人が悟りに至るプロセスにおいて、眠っているDNAがオンになるといったことも起こってくることを示唆するものではないだろうか。
「あなたたちの魂から不要な想念をはぎ取ることは、それほど難しいことではありません。しかもそれは、あなたたちの意識進化の第一段階にすぎません。
(中略)
進化の第一段階を踏み出したならば、そこに留まっていてはいけない。歩みをその先に進めるのです。
(中略)
ヒトから人間になったら、人間から超人になるのです。」(ラムジー)
ここでラムジーさんが言っている「ヒト」とは、動物的な本能や欲望に支配されている状態、「人間」とは、愛し愛され、社会に安定した居場所を確保している状態、「超人」とは、人間から一歩踏み出し、神に近づこうとしている(悟りを目指している)状態を表す。
人間的な状態が確保できたなら、そこに留まっていてはいけない、「超人」へと歩みを進めろ、とラムジーさんは言う。
前回述べたが、人が悟りに至るにはセロトニン神経の活性化が必要だが、その前段階としてノルアドレナリン神経の活性化が必要だという。だからといって、悟りに至る第一歩として、私が経験した「怪我の功名」のように「さあ、みんなで心臓発作を起こしましょう」などとは言えないし、「雨にも負けず・・・」を地で行くことも容易なことではなさそうだ。
私が知る限り、「遺伝子オン」効果、ノルアドレナリンとセロトニンの相乗作用を促す効果が期待できて、誰でも無理なく実践できるのは、瞑想だろう。
熟練の瞑想者は、覚醒でも熟睡でも夢見でもない、第四の意識状態に至るという。つまり、身体の生理機能は必要最小限に低下し、身体はほぼ眠りに就いている(いわば感覚遮断)状態で、その反面脳はクリアに覚醒していて、全方位的に活性化している状態だ。このとき、脳波も脳内ホルモンも、千変万化の「オーケストラ状態」になり、人によっては「幽体離脱」などを経験するという。つまり「超感覚」が目覚めるわけだ。
チャネリングの最中、私はこれと非常に似通った状態になるのを感じる。
日本の遺伝子研究の第一人者である筑波大学名誉教授の村上和雄氏は、人間の眠っている遺伝子をオンにし、潜在的な能力を目覚めさせる方法として、次のようなものをリストアップしている。
○試練を前向きにとらえて乗り越える
○立派でなくとも、小さい目標を持つ
○あえてぎりぎりのところまで自分を追い込んでみる
○積極的に人との出会いを求める
○笑う、感動する、感謝する、愛する、祈る
○環境を変える(安楽な環境から過酷な環境への変更も含む)
○強い志や使命感を持つ
○利他的な活動をする(ボランティアなど)
○チャレンジし続ける(成功・不成功に関係なく、プロセスが重要)
○人と違う部分を引き出して伸ばす
○常にワクワクを考え、イキイキと生きる
○何事も単独の断片でとらえるのでなく、連鎖や相互関係でとらえる
○科学を絶対視せず、目に見えないものにも関心を向ける
(村上和雄「遺伝子オンで生きる」サンマーク出版刊より)
このリストを参考に、眠っている遺伝子が完全オンの人とはどんな人かをプロファイルしてみると・・・
「試練をものともせず、あえて自分を過酷な環境に追い込み、常に笑いと感動と感謝と愛と祈りを絶やさず、強い意志と使命感を持ち、他人の利益だけを追い求め、挫折を知らず、人と違うことを恐れず、物事の連鎖や相互関係をとらえることに長け、科学的世界観にとらわれず、見えないものを見る力を養っている」
どうだろう。何となく宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」を思い出すが、こんな人が実際にいるとしたら、すでに悟りを啓いているのではないか。
そう、まさにこのリストは、人が悟りに至るプロセスにおいて、眠っているDNAがオンになるといったことも起こってくることを示唆するものではないだろうか。
「あなたたちの魂から不要な想念をはぎ取ることは、それほど難しいことではありません。しかもそれは、あなたたちの意識進化の第一段階にすぎません。
(中略)
進化の第一段階を踏み出したならば、そこに留まっていてはいけない。歩みをその先に進めるのです。
(中略)
ヒトから人間になったら、人間から超人になるのです。」(ラムジー)
ここでラムジーさんが言っている「ヒト」とは、動物的な本能や欲望に支配されている状態、「人間」とは、愛し愛され、社会に安定した居場所を確保している状態、「超人」とは、人間から一歩踏み出し、神に近づこうとしている(悟りを目指している)状態を表す。
人間的な状態が確保できたなら、そこに留まっていてはいけない、「超人」へと歩みを進めろ、とラムジーさんは言う。
前回述べたが、人が悟りに至るにはセロトニン神経の活性化が必要だが、その前段階としてノルアドレナリン神経の活性化が必要だという。だからといって、悟りに至る第一歩として、私が経験した「怪我の功名」のように「さあ、みんなで心臓発作を起こしましょう」などとは言えないし、「雨にも負けず・・・」を地で行くことも容易なことではなさそうだ。
私が知る限り、「遺伝子オン」効果、ノルアドレナリンとセロトニンの相乗作用を促す効果が期待できて、誰でも無理なく実践できるのは、瞑想だろう。
熟練の瞑想者は、覚醒でも熟睡でも夢見でもない、第四の意識状態に至るという。つまり、身体の生理機能は必要最小限に低下し、身体はほぼ眠りに就いている(いわば感覚遮断)状態で、その反面脳はクリアに覚醒していて、全方位的に活性化している状態だ。このとき、脳波も脳内ホルモンも、千変万化の「オーケストラ状態」になり、人によっては「幽体離脱」などを経験するという。つまり「超感覚」が目覚めるわけだ。
チャネリングの最中、私はこれと非常に似通った状態になるのを感じる。