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読者との交流記(この小説の運命は読者が決めるということ)

華麗なる読者たち

 

今、ある人が本書を集中的に読んでいらっしゃる真っ最中で、リアルタイムに感想をメールで送ってくださっている。それはご本人曰く、「忘れているわけではないが、今まであえて口に出さなかったことについて語る時を得た」ということらしい。メールの内容もまさにそんな感じで、いかにも小説の記述に寄り添い、それに輪郭を与え、その意義を傍証し、その意味するところを我が身に振り替えたときに、どのように態度決定すべきか、といったあたりを語ってくださっている。

この小説は何と幸運な読者を得たことだろう。「書物は読者を得てこそ完成する」という、そういう意味では、本書は完成に向けて幸先のいいスタートを切った、といったところだろうか。

バトンを握って真っ先に走り始めてくださったのは、本書に登場する重要なキャラクターである「Y子先生」のモデルとなった人物である。「Y子先生」は、本書のメインテーマである「深層意識への旅」へと主人公をいざなう人物であると同時に、物語を要所要所で大きく展開させる役割も担っている。

もちろん、私が小説の登場人物として造形した「Y子先生」は、モデルご本人に対して私が勝手に抱いているイメージに基づいてはいるが、それでも「火のないところに煙は立たない」の喩え通り、ご本人もVIPの風格を湛える才気煥発たる女性だ。仮に「リアルY子先生」とお呼びしておこう。
「統合科学」「宇宙の多次元構造」「トランスパーソナル」「地球会議」「止揚」・・・

こうして感想メールに登場するキーワードだけ並べてみても、リアルY子先生のただならぬ人物像は伝わるだろう。

あるノーベル文学賞作家が、「小説の役割は、新しい世界モデルを提示することだ」という意味のことを言っている。リアルY子先生の後押しを受け、拙著がそうした方向へ向けて船出することを祈りたい。


今、リアルY子先生と同時進行のようにして拙著を読み進めてくださっている人物が、もう一方いらっしゃる。

上下二巻をお渡ししたものの、お忙しい方なので、ご本人も「読み始めるのはだいぶ先になりそうなので、少しお時間をください」とおっしゃっていた。ところが、その数日後、「上巻をほぼ読み終え、下巻に取り掛かろう、というところです」というメールをいただいた。どうやら「ハマって」くださっているご様子・・・。

実はこの人物、拙著とはかなりのいわくがある人・・・本書に登場させようかどうしようか迷った挙句、あまりにもストーリーが煩雑になりすぎるので、やむなく今回の小説への導入を断念した魅力的なキャラクターがあるのだが、この人物はそのモデルにあたる人だ。本書に続編があるとしたら、間違いなく登場してくるだろう。

当のご本人も、とびきり魅力的な女性である。かつて読者モデルをなさっていた経験もあるほどだから、抜群のスタイル、スレンダーなボディにすらりと長く伸びた手足、これまた長く伸びた首の上に乗っかっている小顔は、とびきりの美形。その美形の小顔から繰り出される吸い込まれるような笑顔・・・。

しかし、彼女の魅力はその外見のみならず、内面の計り知れない神秘性(スピリチュアリティ)にあるだろう。しかも携わっているのは、極めて高度な知性を要求されるお仕事。とびきりの美形の中に、次元の高い霊性と知性がたっぷり詰まっているとなれば、世の殿方が放っておくはずもない。当然取り巻きも多いだろうが、ご本人は女王様然としたところはいっさいなく、むしろフットワークの軽さが売り。才色兼備の彼女が、その持ち前のフットワークでこの世界を飛び回ってくれていると思うだけで、地球の未来は明るいと思えるほどだ。

ところで、彼女が内に秘めた神秘性の一端だが、ご本人曰く、子供の頃から、毎晩寝る前、魂が肉体から抜けて、宇宙を散歩して、また戻ってくるということをやっていたそうだ。今でも時々、突然意識が飛んでしまうようなこともあるらしい。危ない、危ない・・・。しかし、おそらく問題は肉体と魂の意図せぬ遊離ということ以上に、自分が担っている運命(バース・ヴィジョンのようなもの)と現実との乖離だろう。これは私自身の問題でもある。

さて、彼女の魂が肉体を抜けた後の行先だが・・・

私のチャネリング・ソースによると、彼女はプレアデスの地球派遣訓練校の特待生だそうだ。つまり、プレアデス星人が何らかの目的で地球に派遣される際の訓練校があり、彼女はそこの特待生だというのだ。プレアデスは愛の星だから、プレアデス星人が地球に派遣される目的とは、もちろん愛の成就だろう。当然のことながら彼女も深い愛情の持ち主で、そうした自分の宇宙的ミッションを重々ご承知とお見受けする。

どうやら私もその訓練校出身のようだ。同窓生は意外に多いようで、彼ら・彼女らの共通の悩みは、「どうもうまいこと地球に愛が定着しないな・・」ということらしい。


またしても本書に「ハマって」くれている読者が現れた。
40代前半の女性。好奇心旺盛で、溢れる行動力、溢れる知性、溢れる愛情の持ち主。この人も、旦那さんともども、プレアデスから地球にやってきている魂だという。

私がちょうどサイ科学会で講演をしたその同じ時期、彼女もとある学会で講演デビューを果たしたらしい。人類数千年の伝統的叡智を継承しようとする学会だが、彼女の講演テーマは、その叡智が近代西洋医学の現場にいかに馴染むのか、ということ。彼女はまさにそうした医療現場にその叡智を導入すべく、旦那さんとともに日々格闘している。近代西洋医学も、その伝統的叡智も、本来は同じ人間を描写する体系のはずだが、今はすっかり分断されてしまっている。それを統合しようとする困難な道を、彼女は覚悟を決めて歩み始めた、といったところか。

彼女は本書をまだ読んでいる最中だが、すでに全体の7~8割ぐらいは読み進んでいるという。仕事柄、「日本統合科学研究所」という状況設定を、ことのほか面白がっているようだ。

本書の後半に、「影の投影」という概念を、小説の登場人物たちが謎解き感覚で人類の秘密を解き明かすのに応用していくシーンがある。彼女はそこを読んでいて、心理学の教科書にでも取り組むようなつもりで、「影の投影」という概念を、自分自身に当てはめて読み解こうとしているという。これはある意味、本書の読まれ方として、私が最も期待していたかたちである。


確かに本書は、まったく違うジャンルの本が3つ4つ一緒になったような内容だろう。たとえば、自伝あるいは小説と、チャネリングメッセージの本と、心理学の専門書など。人は普通それらを別々の本として別々に読むだろうし、別々に読みたいはずだ。私はあえてそれらをひとつの文脈にはめ込んだ。その理由については、いずれ詳しく書こうと思うが、その「何もかも一緒」という状況に、人は抵抗感を覚えるかもしれない。しかし彼女はその抵抗感をいとも簡単に乗り越えてくれたようだ。

どうやら彼女は、まったく別のところに、別の抵抗感を覚えたらしい。小説の前半は私の自伝的要素が強く、K家のお家騒動の顛末と、その意味について解き明かしながら人類全体へもメッセージを発するラムジーさんの言葉で構成されている。彼女はそのラムジー・メッセージの部分を読むのが苦しかったという。お家騒動記の部分にくると、ホッと一息ついたというのだ。しかし、それでも読み始まったら止まらなかったらしい。おそらくそれは、そのラムジー語りが、いまだかつて誰も触れたことのない彼女のデリケートな琴線に触れたからではないだろうか。


素粒子物理学の最先端理論ではないが、もし物質を構成する最小単位が、ある種の「弦(ストリング)」のようなものだとするなら、あらゆる現象は、その「弦」が奏でる「振動」の響き合いのようなもの、ということになる。おそらく、それぞれの人にも「心の琴線」とも言うべきものがあるのだろう。それが何本あるのか、いつどのような形でそれが振動するのかは、人それぞれだろうが、もしかしたら、まだ一度も振動したことのない「弦」もあるかもしれない。隣の弦が弾かれることによって、多少共鳴したことぐらいはある。だから本人はその弦の存在だけは何となく気づいていた。しかし、それそのものが独自の響きを奏でることは今までなかった。何かのきっかけで、何かの刺激でそれが初めて振えるとき、それはある種の「痛み」を伴うこともあるに違いない。
しかし、一度も振えないよりは振えた方がいいに決まっている。その一本の弦の振動によって、その人全体がまったく新しい音楽を奏でることだってあり得るのだ。それは、より全的なかたちでその人が響きを奏でたということでもあるはずだ。その新しい響きは、必ず新しい共鳴を生み出すに違いない。この本が、そうした新しい共鳴を生み出すツールになってくれたら、著者冥利に尽きるというものだ。


私は本書を限定100部作った。この100部を一冊一冊しかるべき読者に手渡したところで、この小説に対する著者としての私の責任は果たされるのではないかと思っている。あとはその100人が、この本の運命を決めるだろう。
彼女にそのことを話し、本書をぜひ読んでもらいたい知り合いがいたら、手渡してほしいと頼むと、とりあえず一人心当たりがあると言って、さっそく一冊預かってくれた。

共鳴はすでに始まっている。



幸運な読者を得るということ

A5版、本文二段組み、725ページに及ぶ大著、しかも無名の書き手によるジャンル不定の小説となれば、まず商業出版には馴染まないだろうという判断のもと、自費出版に踏み切ったとき、「コズミック・スピリット」の運命はどのような方向へ向けて動き出したのだろう。


本の出版に限らず、パートナーとともにやっている音楽活動に関してもそうなのだが、私には変な持論があって、無名の一私人が本だとかCDだとかを普及させたいと思うとき、出版社やレコード会社に働きかけるより先に、特定少数の個人を動かした方が、話が早いのではないかということだ。

ある特定の現象に対して、社会が反応する順番としては、まず個人、次にある特定のグループないし共同体、その次に組織・団体、最後に自治体ないし国、という具合ではないだろうか。この逆はあり得ない、という気がする。


小説にしても、まずは誰かに読んでいただかなければ始まらない。2017年は、この「読んでいただく」という作業に明け暮れたような気がする。その気がありそうな知り合いに軒並み声をかけ、興味を示したら本を渡す、という作業の繰り返しだった。ごく身近な知り合いなら、お付き合いや義理といった事情も手伝って、多少の読書習慣をお持ちの方なら気軽に読んでくれるかもしれない。しかし、手にずしりと重い、分厚い大著となると、腰が引ける人もいる。


ごく身近な知り合いに手渡していくのを「一次普及」と呼ぶとしたら、「二次普及」と呼ぶべき現象がある。ある知り合いが読んで、面白いと感じたら、「あの人にもぜひ読ませたい」と思い、次の読者を紹介してくれる、というパターンだ。この「二次普及」からが、出版物にとっての真の船出かもしれない。


「コズミック・スピリット」にも、ぼちぼちその時がやってきているようだ。内容に興味を持ち、よく理解もしてくださるだろうと思ったある知り合い(仮にTさんとしておく)に本を送ったところ、案の定好評を得て、次から次へと「二次普及」の読者候補を推薦してくださったのだ。Tさんは、一時普及から二次普及への橋渡し役として最適任者だった、ということらしい。

このTさんのことは、また記事を改めて詳しく紹介しようと思うが、まずはこのTさんが紹介してくださった「二次読者」のYさんについて、今回は書かせていただこうと思う。


Tさんが推薦してくださったYさんは、もちろん私とは一面識もない。Tさんから依頼を受け、とりあえずYさんに本のチラシをお送りしたところ、さっそく丁寧なお手紙とともに本のご注文をいただいた。その手紙に簡単な自己紹介も書いてくださっている。Yさんは女性だが、年齢はわからない。仕事は、障害者施設の職員とのこと。

その手紙に「へー」と思うことが書かれていた。

TさんはYさんにメールで次のように本を紹介していたらしい。
「私とYちゃんが出会った意味がわかる本です。」
このように紹介されては、Yさんとしては読まないわけにはいかないだろう。まさに殺し文句だ。

Yさんに本をお送りしてから一週間経ったか経たないかという時期に、またしてもYさんから丁寧なお礼状が届いた。もう読み終えたというのだ。読後の感想を書いてくださっているのだが、それが、こちらが戸惑ってしまうほどの熱烈な内容で、両手放しの賛辞が並んでいる。ご本人に了解を得て、その内容をここに紹介しておこう。


〇「宇宙セラピー」というか「コズミックセラピー」というか・・・読んでいたら、こちらまでセラピーの状態となり、癒される必要のあった過去の出来事が思い出され、「そうだったのか・・・」と納得し、癒されました。

〇ヒプノセラピーの勉強をしている人には、ぜひ読んでほしい本。

〇宇宙や宇宙存在に対する人類の誤解や懼れのエネルギーを取り除くために必要な本。

〇人類が宇宙や宇宙存在に対して内面を開き、宇宙意識に至るための本。

〇何度読んでも読むたびに発見のある本。

〇「王国の再建」という言葉があり、それがキーワード。「内面・外面ともに、これから、今から、必要だよ」と。


それに続く記述に、またしても「へー」と思った。どうやら彼女は、小説にも出てくる「宇宙意識」といったものの持ち主らしい。つまり自分の根本的な「出自」が地球にあるのではなく、どこか別の星から来ているという感覚があるらしく、地球の日々にすっかり疲れ切り、真剣に宇宙へ帰る方法を模索している最中だったというのだ。事情を知らない人から見たら、彼女は「世をはかなんで、自殺しかねない」と映るかもしれない。(かくいう私自身、この世に生きにくさをさんざん感じてきた身。そこはまさに、スコット・マンデルカーが指摘している通りだ。)

そんな矢先に「本が届き、キーワードを与えられ、生きる気力を与えていただきました」というのだ。

彼女は続けてこうも書いている。

「本が届いた日に、何年かぶりの風邪をひき、夜な夜な咳き込みながらも面白く一気に読み、今、感想文を書く段階で、ほぼ完治(笑)。エネルギー調整があったということでした。」

女性らしい、綺麗な虹のイラストがワンポイントに入っている便箋で、何枚にも渡って、熱い思いがしたためられていた。そして、追伸として、「三次普及」の読者候補まで紹介してくださっていた。さっていた。

「コズミック・スピリット」は、届くべき人に確実に届いたようだ。これは、小説にとっても、実に幸先のいい船出、ということだろう。


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